こんにちは。
現在地元で暮らしています。
生まれ育った場所。
地元愛が止めどもなく溢れてきます。
今年3月までのこの23年間、生活の基盤が日本ではありませんでした。
これより自分の身の上話が始まります。
苦手なお方、スルーしてくださいませ。
日本といえば母の住む家。そこが故郷でした。
インドで大変な暮らしをしていましたが、
「あの母の所や母が訪ねて来れる距離で暮らすより全然マシだわ。」
という本音がありましたので、平気でした。
私には母という、どうしても恐怖の独裁者にしか感じられない存在がおります。
恐怖の大魔王と言ってもいいくらいですね、私にとっての母親というものは。
もうね、、、、やっぱり恐怖ですね(笑)。恐怖の内容はここでは言えません。
フツーーーーの感じはしない。
言える範囲ですが、
幼少の頃から、お皿がギリギリで割れない感じで、ガシャンガシャンとでかい音たててキッチンに立つ人でした。
言うこと聞かないとヒステリック独裁者でもうコワイコワイ。
母は自身の言った恐怖な言葉は覚えておらず、
その母の失礼極まりない恐怖言葉に対しての私の返答に超絶敏感に反応し、これを酷いと被害者のように振る舞っていました。
そこにはいつも一緒に居る母の妹がおり、
私はこの姉妹コンビが、とーーーーーっても苦手でした。
この姉妹、自分らの実家の家業の従業員に一人若い女性がいたんですけど、いじめるいじめる。
そしてその若い女性は退職。
文章にしたくないほどの卑劣な悪口、今思い出してもゾっとします。
子供心ながらにもこれは非道だと思っていました。
いつも近所の誰かの悪口ばかり言っているような姉妹。
この姉妹の性格の悪さ、たぶん町内でも有名だったんじゃないかな。今思うに。
当時子供の私ですら、あそこんとこの子供だ。と冷酷な眼差しを向けられていましたわよね今思うに。
年取ると、「ああ、あれはこうゆうことだったのか。」とわかることが結構ありますよね。
おばからは、私が幼少の頃からずっとスキあらば馬乗りされて脇をくすぐられ、泣いても叫んでも、おばの気が済むまでやられる。
ということをされていまして、
中2になって体力がついた私が体勢を覆しておばを蹴飛ばして逃げるまで、
そこまで続いたのです。
言わば、私が成長して蹴飛ばすだけの力がつくまで、あのおばは私に馬乗りし続けたのです。
その後以降の逆恨み的な、おばの態度には、うんざり。
あれは、本当に苦しいですからね。
しかも力づくで私を仰向けにして、その上に馬乗りしてくすぐり続けるのですよ。大の大人が。
馬鹿力振り絞って蹴飛ばさない限りはもう死んでしまうってくらい苦しいのです。
長年に渡ってされ続けた屈辱的な苦しさだったので、今でも忘れられません。
あれ、ちょうど野生動物のマウンティングのように思います。
母と最後会ったときは、あまりにも母自身の言ったことを本人は覚えていないので、一度診てもらったほうがいいと、促したら、
鬼のような形相で、
「お前、今キチガイって言ったな!!!!私に向かってキチガイって言ったな!!!!!!!」
ってブチギレ。コワイコワイ。
母親に向かってキチガイと言ったことはない。
ここで、「ああそうかあああぁぁ。コレかあああぁ。」と腑に落ちたんですね。
私の言った言葉に輪をかけて極悪チックにし、そんな極悪用語にすり替えて、周りに言う人なのですね。
○○(私)にああ言われた。ってね。
私がどんどん敵視されるわけですよ。
孤立するわけだ、あそこに居たら。
自分の精神性を卑下されるのですよ。ああゆう人達の所に居ると。
あの姉妹は私に対しては本当に何かがおかしかった。
大人になって世間のことを知れば知るほど、この姉妹、二人とも異常だよ。ということを知るようになったのです。
さて、現在私は幸運にも、あそこへ行くことなく、離れたとこで暮らしています。
「ここは、こんなにも素晴らしい土地で、暮らしやすくて平和で穏やかな空気に包まれた場所なんだなぁ。」
と、この地元の素晴らしさを満喫中でございます。
日本にいる時は、あの姉妹のいる所で暮らしていたから地元の素晴らしさを実感できずにいたのかな。
まあ自分も年取って落ち着いて、この土地に馴染むようになったからかな。
あの場所ではなくとも故郷にいる今、これがどれほどありがたいか。
私の故郷は母の住む家ではなく、この地なのですね。この、ここの大地。
もし、ご家族とうまくいっていないという人がおりましたら、
どうにかしてでも離れてください。
これ以上ご自分を犠牲にしないでください。
血のつながった人間との相性の悪さ、これは離れるしか方法はございません。
一緒にいればいるほどこじれていきます。
縁を切ってもいい。離れましょう。
何なら役所に相談したっていい。一人で抱え込まず、相談しましょう。
ではまた。