ペットロス、あんときとは違う。


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 ハチベエが亡くなって数日たった今、

ペットロス度はあのとき、、、14年前に愛猫を亡くした時は3ヶ月くらいメソメソしていたんですよ。

酷いペットロスでした。

 

ハチベエがお空へ帰って数日。

亡くなった次の日はボロボロに涙まみれになりました。

それからは一日に数度、自分の至らなさを責めたり、ハチベエのかわいらしさや優しさを思い出してはウルっとしてしまいますが、あのときほど号泣の日々ではありません。

 

 愛する人や愛するペットの死というものは、この世に残された者が 非常にせつないわけです。

もう会えないし、その温もりを感じることがもう出来ないから。

しかし亡くなって重い身体を脱ぎ捨てたら、爽快でしかないんですよ。私は、そう思うんです。

 

ただ残された者の並々ならぬこの喪失感が非常にせつなく、苦しいのです。

それくらいこの世は大変だ。ってことです。

この身体に閉じ込められているので、もう重いし、何も見えんし聞こえんしで、ほんっと大変なんですよ私もあなたも。

亡くなった者は、むしろこの地上に取り残されているワレワレよりも安心で安全な状態にあるわけです。

やっとその身体から開放されて喜んでもいいくらいでしょうね。

 

そうゆう確信が自分の根底に出来上がっていたので、

ハチベエの死は終わりではなく、ハチベエの魂が自由になって、痛みや苦しみのない光の中へ帰った。

と理解するゆえ、14年前のあのときとは全く違う心持ちでおります。

あのときは、若くして亡くなった猫を不憫に思っての悲しみでした。

実はそうではないのですね。

 

亡くなった者がかわいそうなのではなくて

親しい者を亡くした側のほうがかわいそうなのです。

どんな亡くなり方であれ亡くなった者は気にならないでしょう。開放されたのですからね。

残された者が、その亡くなり方を哀れんで悲しんでおります。

これは残された側の試練であって、亡くなった者の試練ではないのです。

 

と偉そうにツラツラ書いてますね。

でも、そう思っていると、苦しまなくていいのです愛する者の死に対して。

そしてそれは真実のように思います。

 

 

あのときのような、日常生活に支障が出るほどの悲しみ、喪失感がないのは、そばに猫のキーマが居てくれるからでもあるのでしょうね。

これが実は一番大きいかもしれません。

 

 

 

ハチベエは、肉体を脱ぎ捨ててちょっと戸惑っているのかもしれないが、痛みや苦しみのない光の世界にいるんですよ。

優しい魂たちしかいない光の世界。

 

ハチベエ、愛してるよ。