インドの鶏屋。そして人それぞれの選択。


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ノラ牛。

草はおいしいね。

完全なる草食にして屈強なツノを持ち、とっても優しくて、力持ち。

 

 

 近年、鶏肉はきれいに洗われてパックされて売られている所が目につくようになってきたインド。

それ以前はそうゆう売られ方をしている鶏肉はありませんでした。

 

鶏肉使って料理すっぞ。となった場合は、鶏屋へ行くのですが、

そこには生きた鶏が、せまい檻にすし詰めになっています。(見るからにかわいそうなことになっているのですよ。)

今でもインド中、そこかしこに鶏の入った檻から生きた鶏は売られています。

 

買い手が来ると、せまい檻から一羽引っ張り出し、もの凄い悲鳴をあげている(殺されるんだからね)鶏を押さえつけ、

その場で命を奪い、羽をむしり、程よい大きさに切り分けて、ビニール袋にいれて買い手に渡されます。

檻に入っている他の鶏達ももちろんその光景を見ています。

どんな気持ちだろう。

もう観念しているのでしょうね。というか精神病みますよね。ズタズタでしょうね、かわいそうに。

 

そして買い手には、人の体温より高いその温かい血だらけの肉が手渡されます。

いわば最も新鮮な鶏肉ですね。

(それを好む国民が多いので、こうやって生きた鶏を目の前でさばく商売は廃れないでしょう。)

調理時に自分で鶏肉の血を洗い流してきれいにします。

これ日本だったら誰も買わないんじゃないかな。

 

自分の一声でその鶏の命が絶たれる。絶命のもの凄い悲鳴が響き渡る。

❝そこまでして食べたいか。❞

という疑問が自分に突き刺さる。

 

昔、若い頃これを経験して以来、

肉食について深く考えて、肉は食べないと決めていた時期がありましたが、

出されたものさえ断ったりしていると周りの人に気を使わせるし、変な空気になるしで、自分にとっても相手にとっても全く心地よいものではありませんでしたよ。

で、そうゆうのやめました。

以降、

料理されたものは、美味しく楽しく喜んで感謝していただいています。

 

そこにあるものは、この世界にあるものは全て

あるのだから、あるのである。

と解釈しています。

何言ってるかわかりませんね。

この世界で許されているゆえ、あるのであります。

実際、この先いつになるかはわかりませんが、人類が動物を食べることは無くなると思います。

(もし人類が絶滅しなければの話ですね。)

人類が生き物に苦痛を与えることは一切無くなるでしょう。

地球はそうゆう世界になると思います。

そうであってほしいと願っています。

 

肉食反対!!!!と人々に訴える人を目にしたことはありますが、これはよいことです。

それについて考える機会を人に与えますからね。

しかし、そんな急速には肉食はなくならないでしょう。

あるのだからね。この世界にね。今まだね。

それを生業としている人がいるのだからね。

 

もし、人為的ではない何かが起こり、

それほど時間かけずとも、急激に肉食が廃止になる流れになったら、

私はそこに地球の意思を感じるでしょう。